こんにちは、のはやさいです🌱
私たちが畑を営む沖縄県読谷村の渡具知(とぐち)。
この地域は、ただの農村ではなく、数千年前から人々が暮らし、交易や産業が発展してきた歴史ある集落です。
比謝川河口という天然の良港に恵まれ、薩摩侵攻や沖縄戦の歴史的な舞台となり、
戦後は土地改良事業を経て、農業と漁業の発展とともに成長してきました。
最近では「渡具知ビーチ」として知られるエリアもあり、サンセットが美しい観光スポットとしても注目されています🌅
この記事では、そんな「読谷村渡具知」の歴史や文化を深掘りし、
この地域がどのように発展し、どんな魅力があるのかを紹介していきます!
📌 この記事のポイント
✅ 渡具知の歴史と文化を知る
✅ かつての風景・産業・交通の役割を振り返る
✅ 渡具知の現在の魅力(農業・観光スポット)
📜 渡具知の歴史|2200年前から人々が暮らす地域
「渡具知」の地名が歴史に登場するのは、1649年の「絵図郷村帳」。
当時は「渡口(ワタイグチ)」と表記されており、古くから人々が住んでいたことがわかります。
しかし、実際には2200年前の弥生時代から集落が存在していたことが、遺跡の発掘によって判明しています。
🏺 渡具知に残る遺跡
✅ 「木綿原遺跡」(弥生時代)…国指定史跡
✅ 「東原遺跡」(約7000年前・縄文時代)…読谷村最古の遺跡
「渡具知」は、ただの集落ではなく、太古の昔から沖縄の重要な拠点だったのです。
📖 参考文献:「渡具知ガイドマップ」(読谷村教育委員会・文化振興課, 2013)
⚔️ 渡具知と戦の歴史|薩摩侵攻・沖縄戦の舞台
📌 1609年|薩摩侵攻の上陸地点
江戸時代の初め、琉球王国は薩摩藩(現在の鹿児島県)の侵攻を受けました。
このとき、薩摩軍が沖縄本島に上陸した地点の一つが、ここ渡具知だったとされています。
📌 1945年|沖縄戦で米軍の上陸拠点に
さらに、第二次世界大戦では、米軍が沖縄本島に上陸した場所の一つでもあります。
沖縄戦の激戦地となり、戦後は長らく米軍の軍用地として使用されていました。
戦争の影響で一時は接収されたものの、その後、返還されて、土地改良事業が進み、農業が盛んな地域として再生しました。
📖 参考文献:「字渡具知誌『戦争編』」(読谷村字渡具知, p.377)
🌿 渡具知の産業|スイカ・メロンの産地として発展
戦後、渡具知では土地改良事業が進み、農業が活発になりました。
特にスイカやメロンの栽培が早くから行われ、集約型の農業が発展しました。
🔹 戦前の渡具知
- 半農半漁の村として、農業と漁業が盛んだった
- 砂糖の生産(サーターヤー)があり、黒糖の製造が行われていた
🔹 現在の渡具知
- 野菜栽培・畜産が中心
- 読谷村の農業を支えるエリアとして発展
「のはやさい」も、この渡具知の豊かな土壌を活かし、季節の野菜を栽培しています🌱
📖 参考文献:「字渡具知誌『戦争編』」(読谷村字渡具知, p.6)
🚂 渡具知と交通の歴史|沖縄の物流拠点だった!
📌 陸の交通|軽便鉄道と産業の発展
戦前の沖縄には、「軽便鉄道(けいべんてつどう)」という鉄道が走っていました。
渡具知はその終点に近く、物流の要所となっていました。
📖 参考文献:「やんばるロードネット」(内閣府 沖縄総合事務局 北部国道事務所)
📌 海の交通|比謝川のポンポン船
かつて、渡具知港には「ポンポン船」と呼ばれる小型の船が入港し、
牛や馬を県外へ輸送する役割を担っていました。
📖 参考文献:「字渡具知誌『戦争編』」(読谷村字渡具知, p.8)
🌅 現在の渡具知|サンセットが美しい「渡具知ビーチ」
現在の渡具知は、農業地帯であると同時に、観光スポットとしても人気です。
特に、かつて「泊城公園整備事業」として整備された「渡具知ビーチ」は、サンセットが美しいことで知られています🌊
📖 参考文献:「字渡具知誌『戦争編』」(読谷村字渡具知, p.377)
📝 まとめ|読谷村・渡具知の歴史を知ろう
✅ 2200年前から人が暮らす歴史ある地域
✅ 薩摩侵攻・沖縄戦の重要な拠点
✅ スイカ・メロンの農業地帯として発展
✅ 軽便鉄道・ポンポン船が行き交った交通の要所
✅ 今はサンセットが美しい渡具知ビーチが人気!
読谷村の中でも、渡具知は歴史・文化・産業が深く結びついた地域です。
これからも、新たな資料が見つかり次第、情報を追加していきます!
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