【読谷村・渡具知】電信屋と村境争い|知られざる歴史を新聞記事から読み解く

こんにちは、のはやさいです🌱

今回は、読谷村渡具知の歴史を「新聞記事」から探っていきます。

📌 この記事でわかること
読谷村渡具知にあった「電信屋」とは?海底電信線と立入禁止区域の秘密
渡具知と古堅村の100年以上前の村境争いとは?

普段はあまり語られない渡具知の歴史を、古い新聞記事をもとにご紹介します!


⚡ 渡具知の「電信屋」とは?海底電信線と立入禁止区域の秘密

📌 海底電信線とは?

明治時代、日本は本土と沖縄を結ぶ通信手段として海底電信線を設置しました。
その陸揚げ地点の一つが、読谷村渡具知でした。

海底電信線が敷設されたことで、沖縄は本土と電信(現在でいう「メール」のような通信)で
連絡を取ることができるようになり、当時としては画期的な技術でした。

📖 明治40年(1907年)の新聞記事より

明治時代の新聞記事によると、渡具知には電信線を保管するための長屋(ながや)が設けられ、
この建物は
「電信屋(でんしんや)」と呼ばれていました。

「電信屋 読谷山渡具知 海底電信線を保管する為長さ五六間の長屋がある。その長屋を呼んで電信屋と云ふている(略)」
📖 参考文献:「読谷村誌 第二巻 資料編1 戦前新聞集」p.191

また、この電信屋は、当時の中学生の社会見学の場にもなっていたそうです。

📌 電信屋周辺は立入禁止だった!

渡具知にあった電信屋は、沖縄の通信拠点として極めて重要な施設でした。
そのため、海底電信線のある海域は立入禁止区域とされていました。

「中頭郡北谷町間切野国村士族は(略)読谷山間切渡具知村港内通信省の指定地なる水底電信線路区域内に於いて釣竿を垂れ漁業をなしたる廉に依り電信法第四十条により罰金五円に処せられる」
📖 参考文献:「読谷村誌 第二巻 資料編1 戦前新聞集」p.66-67

💡 ポイント
当時の「5円」は現在の約1万円の価値
一般の漁師も立ち入ることができず、厳しく管理されていた

また、海底電信線の監視員(番人)も配置されており、
漁業だけでなく、船の漂着さえも厳しく取り締まられていたようです。

📖 参考文献:「読谷村誌 第二巻 資料編1 戦前新聞集」p.19

現在も、かつて電信屋があった場所の500坪の土地は国有地となっています。


⚖️ 村境争い勃発!渡具知と古堅村のバチバチ訴訟

渡具知には、もう一つ興味深いエピソードがあります。
それは、渡具知村と古堅村(現在の読谷村内)の土地をめぐる裁判です。

📌 争いの原因は「渡具知御嶽」

明治33年(1900年)、渡具知村と古堅村の間で村境をめぐる訴訟が起こりました。
きっかけは、古堅村にある「渡具知御嶽(わたぐちうたき)」の土地の所有権をめぐる争いでした。

両村の主張はこうです👇

古堅村の主張:「御嶽がある土地は古堅村に属しているのだから、土地も古堅村のものだ!」
渡具知村の主張:「昔から渡具知御嶽と呼ばれ、松の木の植樹や伐採もしてきた。だから渡具知村の土地だ!」

この問題は、最初は間切長(行政の長)による調停で解決しようとしましたが、
お互いに譲らず、訴訟へと発展しました。


📖 訴訟の行方|最終的な勝者は渡具知村

第一審(那覇区裁判所):古堅村が勝訴
渡具知村が控訴(那覇地方裁判所へ)
裁判所は「司法の管轄外」として棄却
両村が長崎で再び裁判を起こす
最終的に那覇地方裁判所で渡具知村の勝訴が確定!

📖 参考文献:「読谷村誌 第二巻 資料編1 戦前新聞集」p.44-45

📌 訴訟にかかった費用と土地の価値の差がすごい!

「この事件起こりしより六七年を経過し居れば両村各々入費は二千円余に及び居るも、訴訟の目的物たる山野の価格はわずか四十円位なりとぞ。」
📖 参考文献:「読谷村誌 第二巻 資料編1 戦前新聞集」p.45

💰 現在の価値に換算すると👇
訴訟費用:約370万円
争っていた土地の価値:約7万円

「こんなにお金をかけてまで争う必要があったのか?」と、
現代の私たちから見ると驚いてしまいますね😂

現在、「渡具知御嶽」は読谷村渡具知内にあります。


📝 まとめ|新聞記事から見える読谷村・渡具知の歴史

渡具知には海底電信線が陸揚げされ、「電信屋」が置かれていた
海底電信線のある海域は立入禁止で、厳しく管理されていた
渡具知と古堅村の間で村境をめぐる訴訟が発生し、最終的に渡具知村が勝訴
訴訟費用は370万円相当、争った土地の価値は7万円ほど…

何気ない風景の中にも、こんなドラマチックな歴史が眠っているなんて、驚きですね!