沖縄戦と読谷村渡具知:忘れてはいけない歴史
こんにちは。「のはやさい」のりょです。
今日は農作業をお休みして、少し真面目な話をしようと思います。
今朝、畑の野菜に水を与えながら、もうすぐ4月1日だと気づきました。
この日は、今から80年前の1945年、沖縄戦で米軍が読谷村渡具知に上陸した日です。私たちの農園があるこの地には、深い歴史が刻まれています。
沖縄戦と米軍上陸の地・読谷村渡具知
1945年、沖縄戦において、米軍は沖縄本島の西海岸から上陸作戦を開始しました。 上陸地点は比謝川河口(現在の渡具知ビーチ付近)で、4月1日午前8時30分に大規模な進攻が始まったと伝えられています。
「アイスバーグ作戦」と呼ばれる沖縄攻略作戦には、50万人もの連合軍(主に米軍)が投入されました。渡具知近海には大艦隊が集結し、海上からの艦砲射撃、空からの猛爆撃が容赦なく行われたと記録されています。その際、西海岸に向けて発射された砲弾は10万発以上に及んだと言われています。
激しい戦闘の結果、上陸地点の読谷村や比謝川河口の集落は様々な被害を受けました。
その後の読谷村渡具知と「のはやさい」
沖縄戦が終結した後も、渡具知の地は米軍に接収されました。渡具知の住民は、読谷村比謝集落など各地を転々としながら生活を続けていたと伝えられています。
その後、1973年頃に米軍から返還され、土地改良事業が進められました。 当時、この地域ではメロンや電照菊などの作物が盛んに栽培され、現在も数軒の農家が多様な野菜を育てています。
私たち農園「のはやさい」も、この土地の一部として農業を営んでいます。戦争という過去があったからこそ、先人達が今へと繋いできた苦労を思うと、今この地で野菜を育てられることの尊さを感じています。

今年の4月1日は、お昼12時に読谷村の防災無線で「サトウキビ畑」の曲が流れます。
戦没者の方々の御冥福を祈り、二度と同じような惨劇を繰り返さないよう心から祈ります。
私たちが今ここで暮らし、農業ができるのは、先人たちが困難を乗り越えてきたからこそ。この土地と歴史に感謝し、今後戦争がおきないことを願いながら、いち農園としてで進んでいきたいと思います。