沖縄にはモンシロチョウがいなかった話

こんにちは、
のはやさいです。

今日は紋白蝶(モンシロチョウ)の話。

春先になると、わんさかわんさか畑を飛び回る白い蝶々。

「モンシロチョウ」なのですが、昔沖縄には生息していなかった説!(今より個体数が少ない)みなたいな本を読みました。その内容を紹介したいと思います。

まず、その本を引用しますと、

沖縄出版の「沖縄の帰化動物」より。

「戦前1925(大正14)年と1938(昭和13)年に那覇市で成虫が採種されているが、以後確認なし。

沖縄に定着したのが1959(昭和34)年。

1958(昭和33)年11月に名護町(現在の名護市)で戦後始めて採種。1953年頃から本土よりキャベツが沖縄島に盛して移入されており、これら野菜類によって持ち込まれたと考えられる。」(136項)とある

出典:琉球諸島農業関連 事始資料集 崎原悟新 編

とのことで、キャベツが原因でモンシロチョウが沖縄に持ち込まれたという話です。1959年以前は2度確認されてからは、それまで確認なしということで、今より生息している個体数も少なかったのだろうとおもいます。

とのことで、この原因のキャベツを調べてみると、またこのような文献をみつけました。

沖縄県農林水産行政史(第四巻)より
「キャベツは明治30年頃、沖縄師範学校の黒岩悟が学校の農園で試作したのがはじまり」

戦後農林水産10年のあゆみ より
1951年(昭和26年)に与儀農研所国芸課長 宮城親也により、九州農試場より葉深甘藍種が導入され、これにより従来沖縄で困難視されていた甘藍(キャベツ)の採種が可能になり、1953年(昭和28年)より、一般に広く普及された。

沖縄県農林水産行政史(第4巻) より
昭和26年頃から軍向けの洗浄野菜の栽培が認められ、ドルの獲得に大きな役割を果たした」

出典:琉球諸島農業関連 事始資料集 崎原悟新 編

ということが書かれており、おそらく、キャベツが軍向けの洗浄野菜に認められたのが先なのか、キャベツが沖縄で栽培できるようになったことが先なのかはわからないけど、昭和28年を機に軍向けにキャベツの栽培がとっても盛んになったことが原因かと…

時系列まとめてみました。

  1. 1951年(昭和26年)キャベツ導入。キャベツ栽培が可能。軍向けの洗浄野菜に認められる。
  2. 1953年(昭和28年)キャベツ一般に広く普及。
  3. 1958年(昭和33年)現在の名護市で戦後始めてモンシロチョウを採種。
  4. 1959年(昭和34年)モンシロチョウ定着!

ドル稼ぐがモンシロチョウ増える…

そういう背景があって、昔は個体数が少なかったモンシロチョウが、今になっては莫大に増えまくっているという話でした。

今日はこのへんで。

‐のはやさい‐